発明家インタビュー

課題を抱える人に寄り添うデザインを発明する

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山千代 航さん

北海道生まれ、福岡育ち。芝浦工業大学デザイン工学部卒業後、桑沢デザイン研究所でデザインについて学ぶ。2017年4月より高知県佐川町に移住し、地域おこし協力隊“発明職”として勤務を開始。
2017年4月より、高知県佐川町“発明職”として勤務を始めた山千代さん。2016年10月に開催した「発明キャンプ2016」では、酒蔵の町として象徴的なアイテムである升を佐川のヒノキでつくり、そこに、まちを歩いて見つけた青々とした苔を採集してテラリウムをつくるという作品を発表してくれました。そんな、佐川のまちに既にあるものを、山千代さん独自の視点で見つけ、掛け合わせ、活かしていく“発明”を生み出していくことが期待されています。
- 山千代さんがものづくりに興味を持ち始めたのは、いつ頃からですか?
小さい頃から、北欧系の家具や雑貨が大好きでした。「建築とか勉強すればこういう素敵なモノをつくれる人になれるのかな?」って漠然と思っていました。どうやったらそういう仕事に就けるか具体的には分からないけど、「とりあえず東京に行けばどうにかなるかな?」と思って(笑)、芝浦工業大学に進学しました。
工作することや絵を描くことも好きで、特に高校の授業で初めて油絵をやったのがすごく楽しくて。美大に行くという選択肢もあったんですけど、進学を考えた時期の一番の関心は「この物がどうやってできているのか?」というところにあったので、製品の生産加工を研究している学部に入学しました。大学では、金属を使った金型やタービンの加工の研究をしていました。鉄粉にまみれたり、プラスチックを溶かしたり。その頃に、デジタル工作機器を使うこともありました。
- それから、ものづくりの道に進まれたんですね。
大学3年生になり、進路を考えたときに、学部の卒業生はメーカーの生産管理部門に就職する人がほとんどなのですが、それはちょっと違うな、と感じていました。大学に入る前までは、何をつくるか考えて、実際に手を動かしてつくって、そのすべてをエンジニアがおこなうと思っていましたが、そうではないということが分かってきました。もっと、モノをつくる前の段階から「これをどういう人たちに届けたいのか」「これで何を解決したいのか」、そういうことを考える人たちがいるんだということが、やっとちょっと分かってきた頃で。そこからデザイナーを志すようになり、デザインプロセスをちゃんと勉強するために、桑沢デザイン研究所というデザイン専門学校の夜間部に進学しました。
- なぜ昼間部ではなく、夜間部を選んだのでしょうか?
1つは、自分と同世代の人と比べて2年間は遅れをとることになると思ったので、日中は働きながら学校に通いたかったためです(夜間部の授業は18~21時半)。日中は商社ベンチャーでエンジニアとして働き始めました。
もう1つは、桑沢デザイン研究所の夜間部は、おもしろい人が多いと聞いていたからです。年代もバックグラウンドもさまざまで、昼間は民間企業で営業として働いている人や、フランス語を勉強していた人、夢をあきらめきれずに元のキャリアを捨て上京してきた人が僕のクラスにはいました。
- 専門学校時代につくられた作品を教えてください。
学校のお題で、藍染した和紙でつくるネクタイをつくりました。世田谷のある福祉作業所の課題を解決するためのデザインでした。その作業所は、軽度の身体障害を持った人が働く場所で、一般的な作業所と同様に内職やお菓子づくりなどを行うんですが、「紙すき」で和紙をつくることができるのが特徴の一つでした。ただ、和紙で小物を作ってもほとんど利益は取れず、せっかく「紙すき」という技術があってもあまり活かせていないという状況がありました。
まずは「和紙を藍染することによって価値を高めよう」と考えました。やってみると、布ではなく紙を染めるのであれば意外と難しくはなく、染料も現実的な価格で手に入れることができることが分かりました。その藍染した和紙を使って、ネクタイをつくるというデザインを考えました。作業所の方々はあまり複雑な作業はできないので、型紙に巻きつけ、折り紙のように折って、のりでとめるだけで完成するという、できる限りシンプルな工程でできるよう工夫しました。
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- 日中に働かれていた商社では、どんなお仕事をされていたんですか?
商社で働き始めたことは、僕の中で転機になるような経験でした。その会社のメインビジネスは日本にある食品をアジア圏に輸出する事業でしたが、そこでできたネットワークからアジアの素敵な商品を日本に輸入するという事業も始めていたので、新規事業としてそれらの商品を販売するECサイトの立ち上げを任せてもらいました。
なんの知識もない状態でゼロから作っていったので、とても大変でした。幸い、HTMLやCSSは大学の授業で学んで読み書きはできたので、勉強しながらECサイトをつくっていきました。
メインの商材は傘なんですが、たたむと濡れた面が内側にくる仕組みの、ちょっと変わった傘で。これはすごく面白いから流行るんじゃないかと考えて、この商品ばかりに力を入れ「年間1000本売る」という目標を立てました。
それからは、ブロガーさんに記事を書いてもらったり、テレビショッピングに出してみたり、百貨店への営業を始めたり、そのための販促物をつくったり、購入情報とその地域の天気情報を見て、どんな時にどんな人に売れているのか分析したり…。さまざまなマーケティング手法を、ゼロから手探りでやらせてもらいました。地道に続けていると、ワイドショー番組から出演依頼の連絡がきて、傘特集で紹介してもらいました。その直後は普段の100倍以上も売れて、「あー、やったー!」ととても喜んだのを覚えています。
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メイン商材の傘

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山千代さんが制作したECサイト

- 山千代さんがものづくりをされるうえで、大切にしていることは何ですか?
相談を受けたらまず断らない、ということです。本当にできないことはもちろん言いますけど、自分のやりたいことや専門分野と離れていても、がんばったらできそうなことは基本的に断りません。
そのスタンスは、昔から変わりません。高校はラグビー部だったんですが「今日はこっちのポジションやって」って言われても「はい、やります!」みたいな。違うポジションでも、それが嫌だとは思わず、逆にチャンスと捉えていました。いつもと違うポジションをやったら、元の自分のポジションについても、これまでと違う考え方ができるんじゃないか、って。大学時代のアルバイトの時も、いきなり「今日からお前はキッチンな」って言われて、「やったー!」ということもありました。
自分がやりたいことはあるんですけど、やりたいことのその周りのことで「やってみないか」と言ってもらえるのは、すごいチャンスだなって。だから佐川に行っても、一番やりたい“マーケティング×エンジニア×デザイン”以外の分野でも、需要に合わせていっぱいチャレンジしたいと思っています。
- 山千代さんが強く影響を受けた“発明家”について教えてください。
高知を中心に活躍されているデザイナー・梅原真さんです。二年ぐらい前、桑沢デザイン研究所に入ると決めた時に、デザイナーになるにあたっていろんな人を知っておいた方がいいなと思って、片っ端から調べているうちに行きついたお一人でした。
梅原さんは、見た目のデザインだけをするわけではなく、ただそこにあるものを、どういう風に見せたら受け取る側にストレートに伝わるか?ということを深く考えてデザインされる方なんです。
勉強不足で梅原さんのことはそれまで知らなかったんですけど、その本で紹介されていた梅原さんの作った商品のことは、実は小さい頃からよく知っていて。昔の記憶なのに鮮明に覚えていて、僕の生活に馴染んでいて…うまく言葉に表せないけど、こういうデザインってすごいなと思いました。梅原さんを知って、デザインに対する考え方が大きく変わりました。「すごいデザイナーがたくさんいるのは、やっぱり東京だろう」と上京してきましたが、地方の第一線で活躍している人もいるということも知ることができました。
- 「発明キャンプ2016」に参加しようと思ったのはどうしてですか?
大学で、専門学校で、アルバイト先で…それぞれの場所で学んできたことを改めて振り返ってみると、エンジニアとマーケティングをデザインで括ったような、この3つの要素を掛け合わせて、新しい発明をしていきたいと考えるようになりました。
専門学校の卒業を控えていた2016年夏、次のステップはどうしようかと考えていた時に、「発明キャンプ」のチラシをたまたま学校で見つけました。その時は詳しい内容は見なかったんですけど、「高知」「デジタルファブリケーション」「ものづくり」っていうキーワードだけを見て「これは行かなきゃ!」と直感的に思い、応募しました。
- 佐川町ではどんな“発明”に挑戦してみたいですか?
具体的なプロダクトのイメージがあるわけではないんですが。「発明キャンプ」で佐川町を訪れた時、観光協会などでお土産がちょこっと出てはいるけど、周りにはあまり広まっていなくて残念に感じたので、たとえばそれらをちゃんとパッケージングして全国に展開していく、みたいな、そこを発明ラボと掛け合わせていけたらいいなとは考えています。
名産である新高梨も、ちゃんとデザインされた箱があれば、贈り物として使ってもらえたりしますよね。まずは、そういう“できそうでできていないところ”から、やっていきたいなって思っています。
- 最後に、「さかわ発明ラボ」に期待することは何でしょうか。
今はまだ外から見ているだけなので、実態と即していないかもしれないんですが…。子ども向けの教育プログラムはいっぱいあるように見えるので、もっと大人の方向けの、大人の塾みたいな企画があったらいいなと思っています。佐川町には農産物をつくる人はいっぱいいるので、それをちゃんとエンドユーザーに届けようというマインドを持った町民さんがどんどん出てくるといいですよね。それって別に特別なスキルではなく、考え方を知ってもらえれば、誰でもできるんじゃないかと思うんです。僕も含めて、そういうことを伝えて行ける場ができたらいいんじゃないかな、と思います。




(取材日:2017年2月28日)

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