発明家インタビュー

見慣れた景色から美しくて楽しい光を発明する

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島田 正道さん

1978年生まれ。グラフィックデザインの専門学校を卒業後、映像クリエーターとして活動をスタート。映像撮影中に光を操る事のおもしろさを発見し、光を使った作品をつくり始める。デザイン、設計、プログラミング、プロトタイピングを自身で行い、パブリックスペースでのインスタレーションや、ライトアートプロダクトの制作に取り組む。2017年4月より、高知県佐川町“発明職”として勤務を始める。
http://masamichi-shimada.com/
光を自在に操るインスタレーションで人々を魅了し続ける、島田正道さん。そのアイデアの源泉にあるのは、幼い頃に見た美しい情景、そして日常から得るインスピレーションだと言います。2016年10月に開催された「発明キャンプ2016」では、佐川で撮影した写真を、16に色分けされた光に変える装置を、佐川産ヒノキの端材や土佐和紙を活かして制作しました。このキャンプをきっかけに、2017年春からは“発明職”として佐川町で制作活動に取り組むことに。まちの空気に触れた島田さんの手から生み出される新たな作品に、期待が集まります。


- 島田さんは、ライトアーティストとして、光をテーマにしたインスタレーションやライトアートプロダクトの制作に取り組まれています。その活動の中で、どのような“発明”を生み出してこられたのでしょうか?
代表作は、「アムステルダムライトフェスティバル2015-2016」に展示した『Birds fly around with you』です。もともと鳥が好きで、川沿いの散歩道のようなところに鳥を並べて、人が横を通ると鳥が前を飛んでいくような感覚を体験出来る作品をずっとやってみたいと思っていました。その年のライトフェスティバルのテーマ“フレンドシップ”に合わせて、「渡り鳥が移動の途中途中で休むときに友達ができたりするだろう」なんてストーリーをモチーフとして作って、光る鳥と一緒に来場者が動きながら楽しむ事ができる作品を制作しました。
この作品では、円周上に並べられた24羽の鳥が、人の動きに応じて光ったり消えたりすることで、羽ばたくように見えます。輪の中に誰もいないときには全部の鳥に光が点いていて、人が入ると一旦消えます。一人だけで入ると、歩くのに応じて鳥が前を飛んでいくように一羽ずつ光ります。友達と二人以上で入ってきたら鳥が増えて、さらに真ん中にある虹色のライトが点く仕組みになっています。これは、真ん中のセンサーが人の動きに反応して、一つ一つの鳥の中に入れてあるLEDとArduino*1 が作動するように作ってあります。
*1 マイコンボードの一種。センサーから入力された情報を元に、組まれたプログラムに従って光やモーターなどを制御し、多様な出力を実現する。

『Birds fly around with you』


- 最近取り組まれたものだと、どんな作品がありますか?
直近ですと、千葉県成田市の「成田ゆめ牧場」に制作した『冬の夢見るゆめ牧場/冬の一万本ひまわり畑』ですね。ここの牧場が初めて冬にイルミネーションをやりたいということで、このイベントのプロデュースをされた建築家の菅原大輔さんから僕のところに話が来たんです。夏に話をもらって行ってみたら、7万本のひまわりでつくる迷路というのがここの風物詩になっているとのこと。それならこのひまわりを冬に咲かせたら面白いじゃないかと思いました。
風でひまわりが揺れている情景を表現してみようというのが、この作品のコンセプトです。30m×30mの範囲に金属製の骨組みを構築してその上部に白い布を張り、さらに下側から1万灯の黄色いLEDでひまわりをイメージした円形の光を投影しています。
風が吹いたときに布が上下に動くことで下から投影された光の円の大きさが変わって、輝く波面のような幻想的な光景を作り出します。そしてやはり牧場でインスタレーションを行うという事でヤギや羊、ポニーなどの牧場の動物たちに作品の周囲に来てもらってお客さんに直接触れてもらえる場を設ける事で光と動物の温もりを同時に楽しむ事ができる作品になっています。

『冬の夢見るゆめ牧場/冬の一万本ひまわり畑』


- 何かテーマが与えられたときに、どういう思考回路を通じて実際の作品というアウトプットに結びつけていくんですか?
頭の中にストックがあるんです。たとえば、ゆめ牧場の作品の場合。これは単管パイプと布でできているんですが、その発想は自宅の向かいのマンションの外壁工事から来ています。パイプで組んだ足場に掛けてある転落防止用のシートが、風が吹いた日に揺れ動いていて、きれいだなと思っていました。光に関しては、はちみつの容器のキャップにLEDを差して丸い影が出るようにして、ひまわりっぽく見える様にしています。それは映像を撮っていた頃の照明の経験で、こうすれば丸い影が出ると知っていました。
そういうやりたいことやできることのストックがあって、そのときにあるテーマでこれとこれを結びつけたらいけるんちゃうか、みたいな妄想ばっかしてるんですよ。 時間的にも予算的にもちょっと余裕があると、さらに作り方を考え出しちゃって、止まらなくなって、実験してしまうこともあります。


- 光を使った作品を作り始める前は映像クリエーターとして活動されていました。映像の道に進まれたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
映像に興味を持ったきっかけは、中学生の頃にハマっていたスケートボードです。当時よく観ていたスケボーのビデオを撮っていたのが、映画監督になる前のスパイク・ジョーンズでした。映画だと『マルコヴィッチの穴』や『her』の監督です。ただかっこよく滑るシーンを撮って編集したビデオにはなってなくて、すごくクリエイティブで、ドラマ性があって面白いんです。それで映像をつくるのって面白そうだなと。これはどうやってやるんだろうと興味を持って、ビデオデッキ2台で編集したりしていました。ソフトとかも何もなくて、一本撮る、録画を押す、一時停止する、別のつなぐ、録画するの繰り返し。だからカットカットに全部ノイズが入ってるんですよ。音は、ビデオの音声を流すところに無理やりコードをつないでカセットの音を流すとか、テロップは入れられないので、紙に書いてビデオで撮るとか。そんな無茶苦茶なことをしてました。高校生になって高知に引っ越して、Macを持った先輩に出会いました。それまで出会った中で初めてMacで編集ができる人だったんです。色々教えてもらいました。そのときにIllustratorやPhotoshopも知って、これはすごいと。動画の編集だけでなく、グラフィックのデザインもやるようになりました。


- 遊びとして始められた映像制作ですが、どのような経緯でそれが仕事になっていったのでしょうか?
高校を卒業したあと、東京にあるグラフィックデザインの専門学校に行きました。そこで出会ったのが面白い映像の先生でした。ある日その先生がVJをやっている「渋さ知らズオーケストラ」というバンドの撮影で、いきなり「(長野県の)松本に来い」と言われて、連れて行かれました。当時そのバンドのことをまったく知らなかったんですよ。行ってみたら、おっきい納屋みたいなのが立ててあって、真ん中でカメラだけ構えてたら、50人ぐらいのバンドで、さらに客がうじゃーってその小屋の中に入ってきて。むちゃくちゃになるのをただ客目線で撮るんです。それがすごく刺激的で。専門学校を出て少しの間そのバンドの撮影を手伝っていました。
ちょうど同じ頃、専門学校時代の一時期ハマって撮っていた空ばかりの映像を、お気に入りのアブストラクトミュージック*2 のCDに合わせたビデオを作ったんです。そのビデオをCDを出しているレーベルに送ってみたら、なんと一週間後に電話がかかってきて、お金出すからDVDを出そうぜみたいになったんです。そしたらタワレコで平積みされるような感じで売ってもらえたんですよ。その後、そのDVDをデザイナーの吉岡徳仁さんに送ったんです。絶対見てもらえないだろうと思っていたんですがなんとご連絡を下さって、それをきっかけに作品の記録を依頼され、その後2年ぐらい吉岡徳仁さんの作品の記録を撮影したり作品で使用する映像のお手伝いをさせて頂く経験ができました。それらが仕事になっていった最初の大事な経験です。
*2 音数が少ないドラムにノイズが乗っているようなミュージックのジャンル


- 制作事務所に所属せずに映像の仕事をされてきたのは、やはりこだわりがあったのでしょうか?
専門学校を出るときに、就職にまったく興味がなかったんですよ。だからと言ってクリエーターとしてやっていこうというのが固まっていたというわけでもありませんでした。DVDを出したときは自発的に作ったんですが、そこからしばらくは何をやっていいのかわからなくなってしまったんです。なので、食わなきゃいけないから、やりたくなかった“頼まれたらやる”みたいな仕事を10年ぐらいやっていました。


- そこからどのようなきっかけで、個人のアーティストとして制作に取り組むようになったのでしょうか?
先ほども触れたように、吉岡徳仁さんの作品の撮影を手伝っていたんですが、彼の影響をもろに受けました。現場を見ていると、これが全然普通じゃないんですよ。こんなもの絶対空間に使わないだろうっていう素材を使って、すごくかっこいい空間を作っているわけです。例えば、何万本っていうストローを重ね合わせて雲の様な空間をつくっちゃうんです。一番衝撃的だったのは、あるヨーロッパのファッションブランドの展示会です。明治時代に建てられた洋館の窓ガラス全部に、オレンジ色のフィルムが貼ってあったんです。そうする事で室内空間が全部オレンジ色になって、センス良くほんの少し手を加えるだけでこんなに素敵な空間をつくれるんだ、と思わされました。ものづくりと、空間に対する興味はその辺から湧いてきた気がします。
ただ実際に個人の制作に本格的に取り組むようになったのは、専門学校を卒業して10年ぐらい経ってからです。都心にある大規模商業施設に巨大オブジェを制作したのがきっかけでした。とはいえ作品のクオリティは到底納得いくものではなく…。自分はアイデアを考えて企画する立場で、実際に現場で制作するのは工務店さんでした。すごくいい職人さんが揃っているのに、活かしきれなかったんですね。自分のディレクション能力の低さを痛感しました。そこで気付いたのが、作り方をわかっていないから細かい注文ができないし、職人さんたちにも舐められるんだっていうことで。それなら自分で作ってみようと思うようになりました。
次にやったプロジェクトでは、任せっきりにせず、自分でなるべく図面を引いて細かいところまで指示を出して、模型を作って実験もしました。それでも結果はまだだめでした。
ディレクションするためにまずは全工程知っておいたほうがいいなと思って、ほとんど人の手を借りずに作ってみたのが、2014年に横浜で展示したインスタレーション『colors of the wind way』*3 です。
*3 風力発電機と風センサーを用い、光と色の変化で風の流れを可視化するインスタレーション

『colors of the wind way』


- アート作品の中での「光」や「インタラクティブ」というキーワードは、いつ頃から生まれてきたんでしょうか?
自分で作り出すと、自分が好きな素材を使い出すじゃないですか。僕、光が好きなんですよね。無意識につい光や空を撮っているし、キラキラしたものが子どもの頃から好きで。その原点だと思うのは、小学1・2年生の頃、目が悪かったので眼科の先生に言われて遠くの緑を見るようにしていました。でもピントが合っていないから、緑がぼやけてキラキラして見えるんです。その景色がずっと残ってるんですよね。だからビデオも、わざとピントをぼかしてキラキラしたものばっかり撮っていました。自分で手を動かしてるうちに、自然と光のアートにシフトしていって。僕はLEDや太陽のキラキラが好きだったんだな、っていうのがわかったんです。キラキラさせたいから、コントロールしたくなる。それでArduinoとかを覚えて、キラキラさせられるようになっていきました。
それとは別に、インタラクティブアートにも興味があるんです。その原点にあるのが、中学生の頃に好きだった「オトッキー」っていう“元祖音ゲー”みたいなゲームです。いわゆるゲームをクリアする感じゃなくて、音が当たると反応するという方に主軸があるのが面白かったんです。メディアアートの原始的な感じですよね。インタラクティブなメディアアートって面白いと思っていたのが、Arduinoを使い出して「自分もできるじゃん」と気付いて、やるようになりました。


- 島田さんにとって特に大きな影響を受けた人の”発明”を教えてください。
クリスト&ジャンヌ=クロードの『ヴァレーカーテン』ですね。幅400mの谷にカーテンをかけてしまうという作品です。出会ったのは10年ぐらい前、ちょうど個人の作品を作り始めたぐらいの頃です。本屋でたまたまこの作品が表紙の本を見つけて知りました。実物は見たことないのですが、影響は受けすぎるほど受けています。
この巨大な作品をつくるのに、企業のスポンサーを入れないんですよ。代わりにプロジェクトのラフスケッチを販売して資金を集めるんですが、たった1週間展示する作品のために、20年ぐらいかけて何億もの資金を調達して、行政に対しても口説いて口説いて口説くんです。何がすごいかって、作品自体ももちろんですが、そのやり方が、コマーシャルな社会に対しての疑問を問いかけているというか。スポンサーを立てれば作品の制作や展示自体はできちゃうじゃないですか。でもそれでやるとスポンサーの意向を聞かないといけなくなる。完全に自分がこれをやりたいってことだけを、誰にも邪魔されずにできる方法を作って、応援してくれる人も集めてしまう。それを、今のクラウドファンディングのように簡単にできる手段が確立する20年も前からやってるんです。全然真似できないけど、すごくかっこいいなーと思いました。
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島田さんが見つけた本『Christo and Jeanne-Claude』の表紙


- 2017年4月から佐川町に拠点を移して”発明活動”に取り組まれます。長期的な目標について教えてください。
作品とは別にして、僕が高知に戻る意味のある仕事をつくることです。それには3年ぐらいかかるんじゃないかと。高校の頃に住んでいたので、高知の面白い人たちは結構つながりがあるんですよ。それに加えて今issue+designさんとか外部からも面白い人たちが入ってきていて、両者をつなげていったら面白いと思うんです。そういったハブのような役割をちゃんと果たすのも僕の仕事だろうなとは思っています。
あとは、“発明職”の任期が終わっても東京と高知を行き来できるように、高知で仕事を作っておくことです。高知では仕事自体に取り組むだけでなく、その仕事を継続させる土壌を築くこともこの3年でやっておかないといけないかなと思っています。今東京に出てきている人でも、本当は故郷の高知に帰りたいけど地元に仕事がなくて諦めてるっていう人はたくさんいるんです。だから、「あいつ高知に戻って東京の仕事とかしてるじゃん、高知に戻っても食えるじゃん」っていうモデルに自分がなっちゃえばいいかなと思っています。


- 佐川町で具体的に作ってみたい“発明品”はありますか?
二つあります。
一つは、自然の中の光を体験できるような、山を丸ごと使ったアスレチックです。あまりデジタルなことは使わずに、鏡やレンズなどを使ってキラキラさせてみたいです。せっかく高知に行くんだから、スケール感を活かしておっきい場所で何かやってみたいですね。
もう一つは、久しぶりに映像作品を作りたいです。仁淀川の源流から河口までを全部追跡するような映像を作れないかなーと。ドローンもささ舟も使えるし、カヤックをやってる先輩にgoproを付けてもらうこともできるし、いろいろできると思うんですよ。昔やってみたいと思ってもできなかったのが、goproやドローンなどの技術で実現できるようになったので、それを駆使して映像を撮ってみたら面白そうじゃないですか。


- 最後に、「さかわ発明ラボ」に期待することがあれば教えてください。
今地方で何かをやるみたいなのって、流行ってるじゃないですか、“地方創生”みたいな。facebookのタイムラインも半分ぐらいそういうので埋まってたりするんですけど。その中でもやっぱり面白そうなものって目が行くじゃないですか、あそこ盛り上がってるなーって。さかわがそういう場所になって欲しいですよね。東京でアンテナを張ってる友達が、「お前さかわにいるんでしょ?今」って聞いてくれるような、面白いことやってるじゃんって注目してくれるような場所にしたいです。面白いもの作ってるよねって言わせたいですね。



(取材日:2017年2月7日)

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