発明家インタビュー

イノベーションが生まれるプラットフォームを発明する

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西村勇哉さん(NPO法人ミラツク代表理事)

1981年大阪府池田市生まれ。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science)の修士を取得。人材開発ベンチャー企業、公益財団法人日本生産性本部を経て、2008年より開始したダイアログBARの活動を前身に、2011年にNPO法人ミラツクを設立。Emerging Future we already have(既に在る未来を実現する)をテーマに、起業家、企業、NPO、行政、大学など異なる立場の人たちが加わる、全国横断型のセクターを超えたソーシャル イノベーションプラットフォームの構築と企業内の新規事業開発、地域の産業振興のためのオープンイノベーションプラットフォームの構築に取り組む。共著「クリエイティブ・コミュニティ・デザイン」(フィルムアート社)。慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科 非常勤講師、大阪大学大学院国際公共政策研究科 招聘教員も兼任。
http://emerging-future.org/
「NPO法人ミラツク」代表の西村勇哉さん。“既に在る未来を実現する”をテーマに、起業家・企業・NPO・行政・大学などのセクターを超えた「ソーシャルイノベーションプラットフォーム」の構築と、企業内の新規事業の開発や地域の産業振興のための「オープンイノベーションプラットフォーム」の構築に取り組んでいます。「さかわ発明ラボ」を運営する「issue+design」とも、数々のプロジェクトを一緒におこなってきました。全国各地で“発明”が生まれる仕組みをつくりつづける西村さんに、学生時代から今に至るまで、あまり語られないバックグラウンドについてお聞きしました。
- まずは、「ミラツク」の活動について教えてください。
僕たちが取り組む領域は、「コミュニティ」「リサーチ」「イノベーション」と、大きく分けて3つあります。
1つは、共創のデザイン「コミュニティ」。「ミラツク」にはメンバーと呼ばれる100名のネットワークがあり、すべてのプロジェクトの基盤となっています。定期的に集う場を設け、協働のデザインとコミュニティ活動の運営に取り組んでいます。
もう1つは、未来潮流の発掘「リサーチ」。コミュニティを基盤とした、フィールドワークやインタビューを用いた現場起点の調査・分析を行い、仮説形成による未来潮流の発見に取り組んでいます。企業や自治体といったクライアントがいるプロジェクトもあれば、自主的な研究プロジェクトもあります。
そしてもう1つは、創発のデザイン「イノベーション」。リサーチによって見つけた未来潮流からアイデアを創出し、ビジネスモデルの形成、起業家・事業者の支援、プロトタイプ実行支援による新事業の創出と創発のデザインに取り組んでいます。
リサーチとイノベーションの取り組みを通じてコミュニティがより充実していくため、3つが循環していくようなイメージです。これらの取り組みをベースに、コミュニティ形成を主としたプラットフォームと、イノベーションを生み出すことを主としたプラットフォームの2つを、行ったり来たりしながら構築しています。
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- どんなきっかけで現在の活動を始めたのでしょうか?
実は僕、元々理系なんです。コンピュータが好きで、簡単なゲームのプログラムを書写して遊んでいました。高校2年生になって進学を考えた時、コンピュータサイエンスに進むのか、当時ハマり始めていた哲学に行くのか悩みましたが、「哲学のほうが難しくて一生暇にならなさそうだ」と思い、哲学に進むことにしました。
でも実際に学び始めてみると、ニーチェやカントなどの著名な哲学者たちは、すごく頭が良いうえに、(西洋の貴族であるため)時間もたくさんあって、一日中考えている訳です。「そんなめっちゃ頭がよくて時間もある人が一生考えても分からなかったことが、自分には分かるんだろうか」と思い、別の方法はないのかと考えました。
データを積み重ねるものであれば、多少は前に進めることができるかもしれない。「人生とは何か」を、インスピレーションではなく、データの積み重ねで見つけようと考えました。“科学を用いて哲学的な問いを研究する”というのが心理学だと思い、心理学に進むことにしました。心理学を学び始めると、「人はそもそも成長するものだ」ということが出てきて。それから現在までずっと、僕の一番の興味は「人の成長」にあります。
- 大学では心理学を専攻されたとのことですが、卒業後はどのような活動をされていたんでしょうか?
大学では「人はどういう仕組みで成長するのか?」という研究をしていたので、卒業後は企業の研修プログラムを行う人材開発系のベンチャー企業に入社しました。しばらく働いてみると「研修のときに良くなっても、現場で働くと結局元に戻ってしまう。現場自体を変えていかなければ」と気が付きました。その後国内のシンクタンクに転職し、企業変革の仕事に就きましたが、今度は「働いている現場だけじゃなくて、暮らしの現場も変わらないと意味がない」と思うようになりました。そこで始めたのが「ダイアログBAR」という取り組みです。2008年頃のことです。
「ダイアログBAR」は、あらゆる分野の人が集い、みんなで対話をする場です。当時はまだ会社員だったので、会社から3つの条件を出されていました。1.会社の看板を使わないこと、2.大々的に広報しないこと、3.必ず赤字を出すこと(副業規定のため)。
社外の新しいつながりが生まれることで、日常の会話が変わるような場をつくりたいと思っていました。最初は自分の知り合いに声をかけ、二回目からは知り合いが知り合いを呼ぶという仕組みにしました。精力的に自分の活動に取り組む方をゲストとして一人お呼びして、その方に講演してもらいながらごはんを食べ、その後グループごとに話す、という内容です。雰囲気がよくてごはんが美味しいカフェを会場にして、「おもしろい人がいるところでおいしいごはん食べようよ」くらいのテンションで来てもらえる雰囲気にできるよう心がけました。
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初期のダイアログBARの様子

- 「ミラツク」の活動の前身は、そこにあったんですね。
はい。いざ始めてみると「うちの地域でもやってほしい」という声がかかるようになり、「未来をつくる対話の場」をコンセプトにいろいろな地域で実施し始めました。山形県鶴岡市でやったときは、一回のワークで13のアイデアが出ました。「孟宗(タケノコ)がたくさん採れるから、孟宗料理をもっと研究しよう」といった、規模はあまり大きくないけれどその地域ならではのプロジェクトが12個実現し、うち10個は1年以上も続きました。これをやっていたのが、2010年くらいです。この時期に、日本全国の地域に呼ばれ、最終的には500名ほどが参加してくれました。
当初は「立場や領域を超えたつながりづくり」だった場の価値が、「新しいプロジェクトの創出」へと変化していきました。ただ、プロジェクトを生み出すための設計はしていないため、100人が集まるといくつかはプロジェクトが生まれるけど、内容も数も安定していませんでした。より深く方法論を学ぼうと思い、海外から講師を招待して、対話のメソッドを実践的に学ぶためのワークショップを行うことにしました。
トレーニングに来てくれる海外の講師は6人いて、旅費・交通費含め一人100万円、一回の開催で600万円がかかります。個人で払うにはリスクが大きい金額でした。そこで、参加したいメンバーを集め、その人数で割ることにしました。そうして、人数が集まれば集まるだけ安くなるようにしました。それで実施はできたのですが、それでも、一人12万円くらいがかかります。そうなると、外資系企業やコンサルタントといった人たちがやっぱり多くて。そこで、地域で活動しているNPOやまちづくりに取り組む人は、写真撮影や議事録などのボランティアをしながら参加するという条件で、低価格で参加できるようにしました。
いざやってみると、彼らは手伝いながらで大変だったはずなのに、すぐに学んだことを現場で実践し始めました。一方、大きな組織にいる人やコンサルタントのような人たちは「いつか機会があればやりたい」と言って実際に行動に移す人は多くありませんでした。「なんとかして、地域でがんばっている人たちをメインにしたい」と思うようになり、どうしようかと考えていました。
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海外から来ていただいた講師の方々から、対話のメソッドを学ぶ

- それから、どのような活動をされたんですか?
そうこうしているうちに、2011年3月、東日本大震災が起きました。福島へ行って復興に携わる人たちにヒアリングをしていると、ますます、対話の場とコミュニティづくりの方法論に必要性を感じました。悩んだ末、最終的に「お金がないけどこれは絶対に意味があるから誰か来てもらえないだろうか」というメールを講師の外国人たちに送ると、6人が「いいよ」と言ってくれたんです。
それなりの規模でやらなければ状況は変わらないと思い、対話の場を、延べ人数1000人に向けて実施することを目標にしました。1回50人、それを20回。講師の人たちは、20回すべてに来てもらうのはさすがに難しいので、ひとまず順番に来ることになりました。せめて交通費・宿泊費は確保しようと、WEB上で寄付を募りました。無事、数回分の交通費が集まり、2011年11月に第一回を開催。インターネットでの寄付に加え、参加した人のうち、よかったと思う人はさらに次の人たちに寄付してもらう仕組みにしました。
対象は、東北で頑張る若手のリーダーたちです。少しでも確率を高めたくて、一般公募は数名に止め、復興支援を行っていた13のNPOと協定を結び、各団体から3人ずつ来てもらいました。この取り組みは約2年半続け、最終的に約700人が参加しました。
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復興の現場で活躍する若手リーダーたちが集まった

- それからどのような経緯で、現在の「ミラツク」の形になったのでしょうか?
気が付いたら、東北以外にもいろいろなところで対話の場を開催していました。それまでは「1回のワークで何が生まれるか」ということをやってきましたが、たくさん開催すると知り合いが増え、彼らと知り合う中で「自分でアクションを起こしている人たちのお互いの活動が見えるとすごくおもしろいかもしれない」と思い始めました。そこで始めたのが「100人のメンバーシップ」です。これまでの知り合いの中から、地域・業種・セクターなど、なるべくカテゴリーの異なる100人を招待して、1年間通して定期的に対話する仕組みです。1年間という長さを設け、繰り返し出会える場をつくってみるという実験を、2011~13年までしばらく続けました。そこでいろいろな新しいプロジェクトが生まれました。そうすると、みんな出口が欲しくなったので、クラウドファンディングサービスREADYFORと連携しながら、そこで生まれたプロジェクトを実現する動きも始まりました。
それまで基本的に1人で行ってきましたが、2012年の1月にiLEAPというNPOが運営するシアトルで行われた10日間の研修をNPOなどのチームで活動されている人たちと一緒に受ける機会があり、「組織のことを考えるっていうのもいいなあ」と思うようになりました。そうしたこともあり、それまで1つ1つのプロジェクトを一人でばらばらに進めていたので、京都を拠点にしてまとめてみるということを始めました。そこから徐々に事業化に取り組み、2013年に最初のスタッフが入ってくれて、2016年現在、役員2名、フルタイム3名、プロジェクトベースの非常勤4名、インターン生3名に僕を加えて、13名のチームになりました。
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四半期に一回行われる、ミラツク職員合宿

- 西村さんが「楽しい!」と感じるのは、どんな時ですか。
いつも何かしらのマイブームがあって、それに取り組んでいる時が楽しいですね。この間までは、「知見の形式知化」がマイブームでした。プロジェクトの中身をできる限り細分化してみよう、とか、プラットフォーム形成を違う視点で捉えてみよう、とか。可視化されると、次のプロジェクトに別のメンバーと取り組む時に、すごくスムーズになります。
次のブームとして来ているのは、「オンラインやプログラミングなど、テクノロジーの力を借りること」ですね。自分たちのネットワークは広がり交流も増えたけど、ひとつひとつにあまり時間がかけられていない状況もあり、もっとちゃんと時間をかけたいと思っています。テクノロジーの力を活用することでもっと別のことに時間をかけられるので、それが今後のテーマですね。
- 西村さんが影響を受けた“発明”について教えてください。
ワールドカフェ』という書籍です。この本は、ワールド・カフェの方法論を紹介したもので、そのルールは「テーマがある」「人数が絞られてる」「グループを変える」というこの3つだけ。非常にシンプルです。
「対話とはこうである」という哲学はたくさんあるけど、方法論はほとんどなかったんですよね。やったらいいというのは分かるけど、どうやったらいいのか分からない。僕はファシリテーションがすごく上手いわけではないので、読めば誰でもできるような、簡単なプログラムが欲しかったんです。
この方法論が生まれたエピソードも好きで。この本を読んで、著者のアニータさんに会いに行ったのですが、彼女自身は人間力あふれる素晴らしいファシリテーターなんです。ある時、外でやる予定だったワークを、雨が降ったので家の中で、しかも部屋を分けてやらなければいけなくなりました。「自分がすべてのグループに入ることができなくても成立できないか」と考えて生まれたのが、この方法論だったそうです。ガチガチに作りこまれていない、「雨が降ったからできました」みたいな、必要に応じて必要なものを入れてつくったシンプルなところが素晴らしいです。
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ワールドカフェ』(アニータ・ブラウン/デイビット・アイザックス著)

- これから、どんな“発明”に挑戦していきたいですか。
自分たちの組織を通して、新しい働き方を発明したいと思っています。働き方って、相当な期間ほとんど変わらず一緒だな、と思っていて。少しずつ改善の兆しはあるけど、あくまで「普通はこうだろう」というこれまでの働き方がベースにあります。そうではなく、「そもそもそれは本当に必要なのか?」ということを掘り下げていきたいです。理想論ではなく、現実的に自分たちで動かせる形で、新しい働き方を生み出したいと考えています。
- 最後に、「さかわ発明ラボ」へのメッセージをお願いします。
小学生の時の僕は工作少年だったので、釘と木で、パチンコやキャスター付きの動く本棚をつくったりしていました。「何かつくりたい」という気持ちって、人の本能的にあると思うんですよね。その、純粋な「つくりたい」という気持ちと新しいテクノロジーがどう混ざるのか、その実験をする場が「さかわ発明ラボ」だと思っていて。「工作」と「テクノロジー」って、似ているんだけどちょっと違う。それがどんな風に融合していくのか、とても楽しみです。



(取材日:2016年7月13日)

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