発明家インタビュー

日常生活とアートがつながる場を発明する

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KOSUGE1-16

土谷享(写真右)、車田智志乃(写真左)による美術家ユニット。2001年より東京都葛飾区を拠点に活動を開始し、これまで全国各地の公立美術館や国際芸術祭で体験型作品やワークショップを多数発表。2007年岡本太郎賞受賞。2013年文化庁新進芸術家海外派遣事業2年派遣研修員(英国 バーミンガム市)を経て、2016年佐川町地域おこし協力隊員として佐川町に移住。
http://kosuge1-16.com/
日々の生活や、周りの環境から得た気づきを作品へと発展させ、作品を通して人がかかわりあえるアート・プロジェクトを生み出してきたアーティストユニット「KOSUGE1-16(コスゲイチノジュウロク)」の土谷享さんと車田智志乃さん。2016年4月、地域おこし協力隊としてご家族で佐川町に移住され、新たな拠点での活動をスタートしました。
- お二人は、アート・プロジェクトとしてさまざまな場づくりをされています。「KOSUGE1-16」の活動の中から、“発明”の1つを教えてください。
土谷さん:
子どもも大人も関係なく“共働”作業ができる場をつくるための、きっかけづくりとなる創作活動をしています。日本各地で50回以上行っている『どんどこ!巨大紙相撲』は、全長約180cmのダンボールでできた力士で紙相撲をするプロジェクトです。ただつくって戦うだけでなく、地域の中で谷町*1 をつくったり、四股名(しこな)をつけてもらったりといった、千秋楽という場をつくるための一連のアートプロジェクトです。これは、相撲の谷町に代表される文化がとても興味深く、それをアートで実践できないかと思い、始めました。日本のアートには、“見る・つくる”はあるのですが“支える”という考え方が根付いていません。『どんどこ!巨大紙相撲』では、参加者がつくった力士を“支える”という立ち位置をワークショップに取り込みました。
東京の西巣鴨で実施した『どんどこ!巨大紙相撲 にしすがも場所』では、参加者の子どもたちは力士をつくり、出稽古(でげいこ)と称して地域の商店街へ力士と共に巡り、同時に谷町をお願いしに回りました。四股名を様々な商店の方々につけてもらったり、懸賞品をいただいたり、稽古をつけてもらったりしましたね。また、参加者の子どもたちが、お客さんに振る舞うちゃんこ鍋を仕込んだり、懸賞品や四股名をくださったお店や個人の懸賞幕をつくったり、力士ののぼりをつくったりしました。
千秋楽では、大相撲さながらのしきたりに則り、呼び出しや実況解説もあり、枡席で観戦するお客さんには、ちゃんこ鍋とビールやジュースなどを楽しんでもらいました。また、町で出会ったり人づてで知り合ったりした地域の表現者たちにも、和太鼓や相撲甚句(すもうじんく)*2 などのパフォーマンスをしてもらいました。
大相撲の場づくりの仕掛けを利用することによって、ワークショップの参加者だけでなく、谷町の方々も枡席の観客も、その場に居合わせた誰もが『どんどこ!巨大紙相撲 にしすがも場所』という場をつくりだす側になっているという状況をつくることができました。“見る・つくる・支える”、どの立場の人も自分自身が楽しむと同時にお互い同士を楽しませている、“持ちつ持たれつ”の場となったのです。15人の子どもたちとはじめた全5回のプログラムでしたが、千秋楽には300人を超える人々が集まってくれました。
*1 ひいきにしてくれるお客さんや後援してくれる人のこと
*2 土俵上で力士が披露する七五調の囃子歌
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どんどこ!巨大紙相撲』(撮影:松井雄一郎)


- “共働作業” “持ちつ持たれつ”という言葉から、人や場の“つながり”や“かかわり”を大切に活動されている様子が伝わってきます。そのようなプロジェクトを生み出すようになったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
土谷さん:
もともとは夫婦別々に作品をつくっていましたが、一緒に生活をしながら制作するようになり、ユニットとしての活動をスタートしました。「KOSUGE1-16」というアーティストネームは、その時に住んでいた、東京都葛飾区小菅1丁目という住所をそのまま使っています。この地域は、下町的な人のつながりがあって、そのつながりが私たちの生活の中に食い込んできたんです。料理をつくりすぎたらおすそ分けする、というような“持ちつ持たれつ”の精神。最初は戸惑いもありましたが、実はその“持ちつ持たれつ”が生活を楽しく豊かにしているのだと気づいたんですね。
「アーティストが自己表現する」というスタイルから離れて、「周りの環境から影響を受けたことを自分たちのフィルターを通して表現する」「“持ちつ持たれつ”の関係づくりを輸出する」、そのようなイメージができあがってきて、その関係づくりそのものをアートワークにできないかと考えるようになりました。今のようなスタイルでの創作活動をしていくきっかけになったのが、小菅での下町生活でした。

-「KOSUGE1-16」として二人での活動をスタートしてからは、個々の創作活動と比べてどのような変化がありましたか?
土谷さん:
自分の持っている技術を拠りどころにした制作ということよりも、生活の中で気づいたことを形にするというプロセスに変わったので、技術的なこだわりを完全に捨てることができて、何でもできるようになりましたね。自分に足りないことがあれば、どんなところにでもコラボレーションを持ちかけることが、何の抵抗もなくできるようになりました。
作家が勝手に創造したものを発表するのではなく、出会う人たちも含めて、作品とかかわること自体が、作品そのものであったり、作品の一部になったりと、「この作品は誰々の作品です」ということではない状態をつくれるようになりました。美術作品という概念にとらわれず、アート・プロジェクトという概念での制作スタンスを取れるようになったと思います。

- 生活の中での気づきを、どのようなプロセスで作品にしていくのでしょうか?
車田さん:
二人が一緒に生活をしていても、気づくことがまったく同じというわけではありません。「これどう?」「違うよね」「これどう?」「違うよね」を繰り返していく。自分の中だけで考えていくのではなくて、とりあえず言って相談してみるという思考方法が自然になっていますね。個々で存在しているけど、共有フォルダのようなものがあって、合致するものを探していく、というイメージです。合致するものでないと一緒にやりたくないですし、「これなら積み上げられるぞ」というところまで詰めていって、「よし、行くぞ」で、つくります。

土谷さん:
「KOSUGE1-16」をスタートしたばかりの頃、長屋の抜け道をつくる『自転車の為の抜け道の為のバリアフリー』というプロジェクトを行いました。そのきっかけになったのは、知り合いの古橋さんという方が住んでいた長屋と、当時、自主的に行っていた自転車での道路の段差調査でした。
古橋さんは、下町のゆるやかな人のつながりが気に入って移り住んできた方で、住んでいる長屋の1階をイベントや展覧会の会場として貸し出していました。古橋さん宅の1階は、表の玄関から土間・居間・台所と進むと裏の勝手口に出られるつくりになっています。古橋さんが住む長屋は300メートルほど続いていたので、裏に行くには大回りしないといけないのですが、この玄関から勝手口まで通り抜けできる構造を活かした、自転車専用の抜け道があれば便利だな、つくってみたらどうなるだろう、と思ったんです。
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自転車の為の抜け道の為のバリアフリー

- 抜け道をつくってみた結果、どんな変化が起きたのでしょうか?
土谷さん:
単純に「抜け道をつくる」というだけのアクションですが、できてみたら「なんだ、この道?」と、最初は子どもが通り抜けしてみたり、その様子を見ていた犬の散歩をしている人が通ったり、バイクで通ってみたり…と、いろいろな人が行き交いはじめました。その中で、たまたま見に来た人や、展覧会に来た人の中で「出前を取ったら楽しいんじゃない?」という話が出て、実際取ってみたら、岡持ちを持って居間まで来てくれて、台所から出ていく、というおもしろいことが起きたんです。抜け道を1本つくる、ただそれだけのことですが、新しいかかわりができてきたり、これも、あれも、通してみたいという願望が、いろいろな人から沸いてきて、いきいきしていましたね。
結果的に、段差を解消するためにバリアフリー化をすることで道になったのですが、普段どう生活をしているかで気づくことは変わってくると思うんです。車と自転車だったら、都市を見る、フォーカスする視点が違う。誰といるか、どこにいるか、どんな時間帯にいるか、など、そのような周りの環境や関わりが思考に影響する、という考えは、この頃から一貫していますね。

- お二人は、2016年4月から佐川町に拠点を移されました。佐川町で、これからどのような“発明”に挑戦していきたいですか?
車田さん:
佐川町は小菅と似ている部分があって。“持ちつ持たれつ”は共通ですね。皆さん、話がとても上手で、聞いていてすごくおもしろいんです。気づきになりそうなことを、皆さんがたくさん教えてくださるので、作品につながっていくきっかけはつきない気がしますね。

土谷さん:
私たちが住んでいる黒岩地区に、木材の知識がすごい方がいまして、頭の中のアーカイブが素晴らしいんです。そういう方と普段当たり前のように話ができるというのは奇跡的なことですよね。作品をつくる際、東京にいた頃は地方から丸太ごと購入していましたが、この町ならいろいろな種類の木が身近なところで手に入ります。
ただ、いざ集めてみると、名前がわからない木もかなりあるんです。インターネットで調べようにも、葉も枝もない丸太だと、らちが明かないことも多いし、木の成長過程や生えている場所によって樹皮の状態も違うし、なかなか難しい。でもその方は、たとえば樫の木でも、どんな樫の木なのか、小口を見ただけでわかるんです。時々、学術名ではない、地域の呼び名が出てくることもありますね。
町の中や山林に、さまざまな素材、宝が眠っていて、それは昔からこの地域で暮らしてきた人々がいるからこそ輝くものだと思います。そのような、素材や人をつなぐような“発明”をしたいと思っています。「これは何の木?」と調べていくだけでは生きたデータベースにはならなくて、そのデータベースを何に使いたいか、という目的意識がある中で、学んでいくことが重要だと感じます。生活や制作を行う中で、そういった横断的なものづくりに取り組んでいきたいですね。
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佐川町黒岩地区にある「KOSUGE1-16」のアトリエ
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アトリエ横のスペースには、佐川町内で集められたさまざな木が並んでいる
6_アトリエでの制作風景
アトリエでの制作風景

- お二人の価値観を変えた“発明”について教えてください。
車田さん:
現東京藝術大学教授の中村政人さんとの出会いです。1999年頃のことでした。中村さんは、“美術と社会”、“美術と教育”の関係性をテーマに様々なアート・プロジェクトを進める社会派アーティストで、中村さん主宰の「コマンドN」というアーティストイニシアティヴ*3 の団体に、二人とも手伝いに行かせてもらっていました。
仕事のやり方やアーティストとして生活をしていく方法など、アートの現場を直に学ばせてもらいましたね。既存のアートの枠にこだわらずに、アーティスト自身が発表の場をつくっていく、アーティストが主導になってアートの現場を切り拓いていく活動を目の当たりにして、大きな影響を受けました。
*3 自分で考えて、自分で行動を起こして、何か自分で見せる、といった、アーティストがイニシアティブをとった行動

土谷さん:
僕は、日本を代表する彫刻家のお一人・若林奮さんの活動からも影響を受けました。1990年代、東京都日の出町では、ごみ処分場建設問題でトラスト運動が展開されていました。若林さんはその活動に参加し、建設予定地の中に、建設予定地から避難させた植物や石などで庭園をつくり、『緑の森の一角獣座』という作品として発表し、芸術の著作権を盾に戦われていました。
当時、高校を卒業して美大受験の準備をしていた僕は、ボランティアとしてその手伝いをしていました。そこで目撃したのは「美術という表現が、社会の問題点の最前線に立てる」ということでした。最終的には、行政代執行*4 がなされ作品は撤去されてしまいましたが、「アートは、そもそもアートのための場におさまるためのものではなく、社会の中に出ていくものだ」と思うようになりました。
「アートが、自分の身体の中に染みわたる」という実体験をするようになったのは、小菅に住んでからですが、知識や方向性として「社会の中にアートが出ていく」という考え方は、若林さんのトラスト運動や中村さんの「コマンドN」で経験したことが土台となっていますね。
*4 行政から義務を課せられている対象に、公権力に基づいてその義務を強制的に履行させること

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若林奮『緑の森の一角獣座』

- お二人が移住された時期と同じくして、「さかわ発明ラボ」がオープンしました。お二人はこのラボにどのような期待をされていますか?
車田さん:
佐川町に来るきっかけになったのは、「さかわ発明ラボ」ができるという情報でした。木もあるし、ものづくりの拠点もできるなら、活用できるのではないかと思いましたね。

土谷さん:
佐川町は自伐型林業に力を入れていますが、その実践の中で、文化と新たなビジネスをつくるという三つ巴の展開がはじまっていくと思います。「さかわ発明ラボ」も、場所があるだけでは足りなくて、この地域に暮らす人の人的資源、山や木といった環境的・物質的資源など、佐川町のさまざまな資源を束ねるためのファブリケーション機能がインストールされた、というのが今の状況です。この機能というのは、いろいろな分野の人が横断的に集まってくることで、活きてくるものだと思うのです。僕らも、新しい仲間、新しい場を「さかわ発明ラボ」と一緒に築いていきたいです。


(取材日:2016年10月26日)

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