発明家インタビュー

人生をポジティブに変えるファッションを発明する

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折居麻綾さん( Dr.まあやデザイン研究所 / 脳外科医 )

1975年、東京都世田谷区生まれ。3歳から岩手県北上市で育つ。1994年、岩手医科大学医学部へ入学。2000年の卒業後、慶應義塾大学外科学教室での研修医を経て、脳神経外科専門医として働き始める。2009年、「デザインを学びたい」と思い立ち、日本外国語専門学校海外芸術大学留学科へ入学。翌年、Central Saint Martins Foundation Courseに合格し、ロンドンへ留学。2年後にビザの問題で日本へ帰国。帰国後は脳外科医に復帰しつつ、スタイリストのアシスタントを開始。2013年、Dr.まあやデザイン研究所設立。2014年には初の個展「カラフルデブの挑戦」、2015年には個展「カラフルデブの修練」、2016年には「カラフルデブの展示受注会」を開催し、ネットでの販売も開始。
http://www.maayaorii.com/
グルーガン片手に当直室でカラフルな服を作り、患者さんが来院したら救急外来へ行き、脳外科医に戻る。「脳外科医 兼 ファッションデザイナー」という特殊な肩書きを持つ、折居麻綾さん、通称・Dr.まあや。その特殊さから、テレビをはじめとする多くのメディアからひっぱりダコです。医者、ファッションデザイナー、時々タレントという超多忙スケジュールの合間を縫って、現在の活動に至った経緯やDr.まあやの原動力についてお話を伺いました。
- 「脳外科医兼ファッションデザイナー」という世界にたった一人の肩書きを持つDr.まあやさん。ご自身の作品について教えてください。
最初に取り組んだのは、カラフルグルーガンを使用した作品でした。グルーガンは本来、接着するためのものですが、カラフルなグルーガンスティックを発見した時から、これを使ったファッションの作品を製作したいと考えておりました。当直室で、グルーガンをどのように使用できるか色々試してみた結果、グルーガンを使った作品を5点製作し、2014年初の個展「カラフルデブの挑戦」を開催することができました。2015年には、CT検査で撮影した私(当時体重75kg)の皮下・内臓脂肪の画像を用いて、ワンピースを製作しました。
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(左から)『ぐるぐるワンピース(ラメバージョン)』『CT柄ワンピース

- 現在、具体的にはどのようなスケジュールで活動をされているのですか?
月・火・金曜日は小平の病院で外来診察をしています。水・木曜日はファッションデザイナーとして製作や取材対応をして、土曜日の朝一の飛行機で釧路に飛びます。土曜日から月曜日の朝までは釧路で救急外来を中心とした当直業務をして、月曜日の午前中に東京に戻り、そのまま小平の病院に直行、という一週間のスケジュールで活動しています。
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病院での勤務の様子。医師として働く時は、黒髪のカツラを被るそう

- どのような経緯で、医師、そしてデザイナーの活動に取り組むようになったのでしょうか?
私は3歳から祖母の家で暮らしていたのですが、祖母は、いろいろと心配するがゆえに言葉厳しい人で「おまえみたいなブサイクは絶対に結婚できない」「女性が一人で生きていけるほど世の中甘くない」と小学生の頃から言われ続けていました。さすがに小学生の頃はそう言われることに抵抗があったのですが、その後、中学校・高校と学校生活を送る中で「自分はモテモテの人生を進むタイプではない」「祖母の言っていた事は結構現実的なんじゃないか」と思うようになったんですね。それで「自分はとにかく勉強をしよう、勉強して医者になろう」と思ったのが医者になったきっかけです。
大学一年生の時に授業で開頭のビデオを見て、「人の頭、しかも脳を開けられるのは脳外科医しかいない」ということで、脳外科医になる決心をしました。お腹や他の部分はどの医師でも扱える、けれど脳まで開けられるのは唯一脳外科医だけなんです。医師の仕事の中でも脳外科医を選んだのは、そのスペシャリティに惹かれ、挑みたいと思ったからです。
脳外科医を7年続け、専門医を取得し、途中から大学院での研究も始めていたのですが、当時の履修審査が思ったような結果になりませんでした。ヘコんで山ノ手線で2周くらいボーっと乗っていた時に、たまたま専門学校の海外芸術大学留学科のポスターが目に入ったんです。元々デザインに興味があったので、「脳外科医である自分がデザイナーになるのは面白いんじゃないか」と思い、デザイン留学することに決めました。昔からモノをつくるのが好きで、学会のポスターや看護師さんの退職記念Tシャツなんかもよく作っていました。中でも一番好きなファッションを勉強したかったので、2010年にファッションで有名なロンドンのCentral Saint Martinsに進学しました。
1年目を修了後、BA Womenswear course(ウィメンズファッションデザイン科)を受験するも合格できず、仕方なくショートコースを選択してファッションを中心としたスキルを中心に学ぶことにしました。しかし、2012年4月に最後のFashion Polio(ファッションポートフォリオコース)を残し、春休みにトルコに行ってロンドンに戻ろうとした際、なんとビザトラブルで強制帰国せざるを得なくなってしまいました。
帰国後はかなり落ち込んでいたのですが、知人の紹介でスタイリストのアシスタントをやらせていただくことになり、約2年半、様々な経験を積ませていただきました。でも本当にやりたいのは「自分でモノをつくりだすこと」だったので、2013年に「Dr.まあやデザイン研究所」を設立し、現在の活動が始まりました。
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留学時代の同級生たち

- Dr.まあやの作品にはカラフルなものが多いですが、それはなぜですか?
私は元々地味な人間で、容姿に対するコンプレックスがずっとありました。そのコンプレックスが、「カラフルデブ」というテーマをもとに活動することで解消されていくんです。こうやってカラフルなファッションでいることで、何かみんなを上回る気持ちが生まれてきます。
「ブサイクだから結婚できない」と言われ脳外科医になって、ロンドンから追い出されたからこそデザインで世界進出したいと思うようになり…ネガティブな気持ちから「見返してやろう!」と反骨精神で次のステップに進んできたのとも、少し共通しているかもしれません。
- 今後はどのような“発明”を生み出していきたいですか?
自分が面白いと思う服作りを最低でも10年間は続けてみたいです。なんでも10年は続けないと、物にならないと思っていますので…。今は自分のキャリアの面白さで興味を持ってくれる方が多いですが、いつか本当に私の作品自体に興味を持ってもらえるように、デザイナーとして勝負できるようになりたいですね。
前回の展示に来てくださった女性の方が「私来年還暦なんだけど、ちゃんちゃんこ着たくないのよ」って言ってドレスを買っていってくれたんです。「還暦にただの赤いちゃんちゃんこなんてつまらないでしょ? これを着てみんなの前に出てジャーン!ってやるわ」って言ってくれたんです。自分の作品は大衆的に売れなくても、こうやって喜んでくれる人がいればいいのかもって思います。
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還暦を迎える女性が購入した『虹色ひだひだワンピース

- Dr.まあやが影響を受けた“発明家”はどなたですか?
COMME des GARCONSのデザイナー・川久保玲さんです。彼女の活動の仕方が、自分にとっては目標にしやすいです。川久保さんはデザインを勉強した人ではない、いわゆるデザイン学校出身者ではないんですが、COMME des GARCONSというブランドを立ち上げました。長い下積み経験を経て、という昔ながらの方法ではなく、独自の方法でファッションの世界で成功した方です。自分はディレクターであって、手は動かさない。ブランドが発信するメッセージや方向性をデザイナーに伝えて、あとは自分の仲間達が作ったものを信じて世の中に発表するやり方は珍しいです。既存の常識にとらわれずに自分のやり方で成功されている姿に、強く共感します。
- 最後に、さかわ発明ラボに向けてメッセージをお願いします。
デジタルミシンや3Dプリンターにも興味があります。私はメガネコレクターでもあり、250本を超えるメガネを持っているのですが、3Dプリンターではメガネを是非つくってみたいですね。色もいろいろと再現できて面白いし。メガネづくりワークショップやりましょうか!高知県にもまだ行ったことないし、食いしん坊としてまずはかつおを食べながら(笑)、是非見学に行かせてください!実際にラボに見に行って、どんなものが作れるか考えたいですね!

(取材日:2016年8月3日)


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(折居麻綾さんからのメッセージ)
3、40代の女性は結婚や仕事など生き方に迷うことが多々ありますが、そこをどうやって考えて生きていくのか、私の人生を通して何か提案できたら良いなと思って書いた本です。ぜひ読んでみてください!

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